2011年02月24日
祈り
連日ニュージーランド地震の被害状況がメディアで報道されている。
一人でも多くの生存者がいて欲しいと切に思う。
私も大学3年の時、阪神大震災の揺れを経験した。その凄さは筆舌に尽し難い。
2月24日の静岡新聞夕刊に衝撃的な記事が掲載されていた。
脚を切断し見事生還した19才の少年の記事である。
このような場で紹介すべきかと迷ったが、彼の生命力、生きるパワーが文章からひしひしと伝わってきたので敢えて紹介させてもらうことにした。要点を以下に抜粋する。
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「生きてますと伝えたい」
脚切断し生還の奥田健人さん
右脚を切断する手術を受けて救出された富山外国語専門学校1年の奥田健人さん(19)が24日、病室で共同通信社の取材に応じた。「家族や友だちに『生きてます』と伝えたい。それで十分です」と気丈に話し、がれきの下敷きになってから救出されるまでの状況を証言した。
(中略)
奥田さんは22日の昼、語学学校の授業を受けた後、ビル4階のカフェテリアに向かった。サンドイッチを食べていた時、突然強い揺れに襲われた。揺れはどんどん強くなる。「やばくない?」。級友と話していると、床ごと下に落ちた。気が付くと周囲は真っ暗で何も見えず、体はがれきの下敷きになっていた。
(中略)
携帯電話で富山にいる兄(23)に助けを求めた。兄から日本の警察や外務省に連絡が伝わったらしく、しばらくしてクライストチャーチの警察から電話がかかってきた。(中略)地震発生から既に10時間ほどたっていた。
それから2時間。駆け付けた救助隊ががれきを取り除き始めた。(中略)自分を助け出そうとした隊員が英語で「脚を切るぞ」と言った。「生きていられるだけでいい」。つらかったが、自らにそう言い聞かせた。麻酔で意識が途切れた。目が覚めると、病院の手術室だった。強烈な光に目がくらみ、再び意識が遠のいた。
今回の語学研修が、初めての海外渡航だった。「こんなことがあったけど、またいろいろな国に行きたいし、英語を使う仕事に就きたい」。ベッドの上で笑顔を見せ、将来の夢を語った。
【平成23年2月24日クライストチャーチ共同より抜粋】
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しばし言葉を失った。19才の少年から多くの事を学ばせてもらった気がする。
彼の未来が幸福に満たされることをただただ祈るのみである。
富士山カメラマン 檀林正浩
fujiyama377637762006@yahoo.co.jp

一人でも多くの生存者がいて欲しいと切に思う。
私も大学3年の時、阪神大震災の揺れを経験した。その凄さは筆舌に尽し難い。
2月24日の静岡新聞夕刊に衝撃的な記事が掲載されていた。
脚を切断し見事生還した19才の少年の記事である。
このような場で紹介すべきかと迷ったが、彼の生命力、生きるパワーが文章からひしひしと伝わってきたので敢えて紹介させてもらうことにした。要点を以下に抜粋する。
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「生きてますと伝えたい」
脚切断し生還の奥田健人さん
右脚を切断する手術を受けて救出された富山外国語専門学校1年の奥田健人さん(19)が24日、病室で共同通信社の取材に応じた。「家族や友だちに『生きてます』と伝えたい。それで十分です」と気丈に話し、がれきの下敷きになってから救出されるまでの状況を証言した。
(中略)
奥田さんは22日の昼、語学学校の授業を受けた後、ビル4階のカフェテリアに向かった。サンドイッチを食べていた時、突然強い揺れに襲われた。揺れはどんどん強くなる。「やばくない?」。級友と話していると、床ごと下に落ちた。気が付くと周囲は真っ暗で何も見えず、体はがれきの下敷きになっていた。
(中略)
携帯電話で富山にいる兄(23)に助けを求めた。兄から日本の警察や外務省に連絡が伝わったらしく、しばらくしてクライストチャーチの警察から電話がかかってきた。(中略)地震発生から既に10時間ほどたっていた。
それから2時間。駆け付けた救助隊ががれきを取り除き始めた。(中略)自分を助け出そうとした隊員が英語で「脚を切るぞ」と言った。「生きていられるだけでいい」。つらかったが、自らにそう言い聞かせた。麻酔で意識が途切れた。目が覚めると、病院の手術室だった。強烈な光に目がくらみ、再び意識が遠のいた。
今回の語学研修が、初めての海外渡航だった。「こんなことがあったけど、またいろいろな国に行きたいし、英語を使う仕事に就きたい」。ベッドの上で笑顔を見せ、将来の夢を語った。
【平成23年2月24日クライストチャーチ共同より抜粋】
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しばし言葉を失った。19才の少年から多くの事を学ばせてもらった気がする。
彼の未来が幸福に満たされることをただただ祈るのみである。
富士山カメラマン 檀林正浩
fujiyama377637762006@yahoo.co.jp

Posted by 富士山写真作家 檀林正浩 at 21:54│Comments(0)